
スロットとは?日本ではスロットと言うと、パチスロやカジノ式スロットマシンを連想する人が殆どでしょう。
スロット(SLOT)の翻訳は、溝(みぞ)、細長い小さい穴、(自動販売機・公衆電話機などの)料金差し入れ口と言う意味を持ちます。
ですので、スロットマシンは「硬貨差し入れ式の機械」となり、パチスロは、「硬貨差し入れ式のパチンコ」と言う意味となります。
スロットマシンの起源
現代のスロットのように回転輪を並べて回転させ、停止した時の絵柄の組合せで得喪を決定するリールマシンは1890年代の早い時期からポーカーをモチーフとするゲームとして登場しています。
ですが、それらはゲーム結果の判定と払い出しを自動的に行うメカニズムを備えておらず、当たりの目が出た場合には、オペレーターが景品のビールや葉巻を手渡しで払い出す必要があったとされています。
3リールマシンの登場
3つの回転輪を持ち、ゲーム結果の判定及び賞金の払い出しを自動的に行う機能を備えた初めてのリールマシンは、1898年のアメリカのカリフォルニア州サンフランシスコ登場したとされています。
当時、スロットマシンの開発を行っていたドイツ系移民のチャールズ・フェイがは発明した「カード・ベル」3リールマシンの原点となります。
リバティ・ベルの台頭
3リールマシンである「カード・ベル」を発明したチャールズ・フェイは、翌年にそのメカニズムを搭載した「リバティ・ベル機」を開発。
「リバティ・ベル」は、サンフランシスコのサルーンに設置され、売上を折半する営業方法で大きな成功を収めました。
フェイはこの機械を販売しておらず、そのメカニズムの秘密は長い間明らかにされなかったが、あるサルーンに設置されていたリバティ・ベル機が何者かによって盗み出される事件が発生。
その後、当時のスロットマシンメーカーの最大手であるミルズ社より、「ミルズ・リバティ・ベル」という名の、フェイの発明に酷似するリールマシンが売り出されたとされています。
その事が切欠となり、サンフランシスコで留まっていた3リールマシンは全米に知られ、やがて世界中に知れ渡ることになります。
リール絵柄の起源と変遷
3リールマシンの初号機として登場した「リバティ・ベル」で使用されていた絵柄は、ベル、星、ハート、スペード、ダイヤモンド、蹄鉄の6種類でした。
現在のスロットでも使用されるフルーツ絵柄の登場は、1910年にミルズ社が開発した「リバティベル・ガム・フルーツ」が最初となり、当初は、プラム、オレンジ、レモン、スペアミントでした。
その後、ミルズ社により「オペレーターズベル」が製造され、その時にスペアミント絵柄は、チェリー絵柄に差し替えられたとされています。
7絵柄とBAR絵柄の起源
ミルズ社が開発した「リバティベル・ガム・フルーツ」は、ギャンブル機としての非難を避けるためにガムの自販機をモチーフに製造されていました。
その為、フルーツ絵柄とガムの商標が絵柄として取り入れられていたのです。
その後もフルーツ絵柄はリールマシンの標準的なシンボルとして定着するものの、ガムの商標絵柄は「BAR」絵柄へと変わり、「7(セブン)」絵柄など、より序列がわかり易い絵柄に置き換えられる傾向が強まり現代に至ります。
スロットマシン技術改革
当時の3リールマシーンの払い出しは、払い出すコインを細長いチューブの中に平らに一列に積み上げる形で収納しており、少し大きな当たりが続くとチューブが空になってしまうという問題を抱えていました。
まず1964年、ゲーム機メーカーのバーリー社のより払い出しに初めてホッパーを採用します。
この事によりコイン容量が格段に大きいホッパーは、チューブが空になると言った問題を解決し、より大きな当たりも自動的に処理できるようになります。
その頃には、1回のゲームに最高5枚のコインが投入できるスロットマシンも登場し、1回のゲームに複数のコインを投入させる、即ちゲーム単価を上げるという概念は、現代のスロットマシンの殆ど全てに継承されています。
リールの進化
また、リールにおいても様々な進化が起こります。
1982年には、米国ネバダ州リノ在住のインゲ・S・テルナエスにより「バーチャルリール」特許申請され、1984年に認可されました。
「バーチャルリール」とは、従来は機械的な動作で得ていたゲームの結果を、コンピュータで電子的に得るようにしようというものである
その後、1985年日本のユニバーサル社(現在のユニバーサルエンターテインメント)は、バーチャルリールの現実に向け、二人の米国人開発者によってリール機構にコンピュータ制御されたステッピングモーターを採用したリールマシンを初めてスベガスに初めて投入しました。
バーチャルリールとステッピングモーターの組合せは他社製品にも瞬く間に広まり、現代のリールマシンの必須要件となり、これは現在も変わっていません。
尚、日本においては、英国よりも更に早い1980年で国内市場向けの「パチスロ」に、ステッピングモーターが使用されていたとの記録が残っています。
これは日本のパチスロがストップボタンによってプレイヤーの任意のタイミングでリールを停止させるゲームであるため、パチスロの内部で行われる電子的な抽選結果に反するゲーム結果とならないようリールを制御する目的に使用されたものですが、ラスベガスで初めてステッピングモーターを使用したリールマシンを展開したのが日本のパチスロメーカーであったユニバーサル社であることかから、現代リールマシンの最も重要な技術改革は日本を起源とする可能性が高いですね。