連続式の登場と黄金時代の終焉

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連続式の登場と黄金時代の終焉

オール20など「オール物」の登場し第一次黄金時代を向かえたパチンコ業界。

翌年の1953年には「循環式1号機」と呼ばれる「上皿付き高速連射機」の登場でピーク時には45,317店舗に達します。

ですが、この黄金時代は長続きせず、次なる時代へと移り変わって行くことになります。

連続式の登場

まず、パチンコ黄金時代と呼ばれる切欠となったのが遊技球の発射の仕組みでした。

それまでは左手で穴に1個1個を遊技球を入れてからハンドルを弾いて打ち出す方式となっていましたが、「連続式」の登場により、一度に一定量の玉を込めても、打ち出すごとに一発一発が補填される方式に進化していました。

循環式第1号とは?

循環式第1号とは?1953年(昭和28)に開発された「高速連射可能式」と呼ばれる性能であり、上皿が付くことにより連続しての遊技球の発射が可能となります。

尚、上皿が付いた高速連射機は一分間に160~180発もの発射が可能となります。

現在のパチンコは1分間に100発以内の規制であることから非常に高い射幸性を持っていたことが伺えます。

パチンコ黄金時代の終焉

1952年から第1次黄金時代を迎え、ホール数45,000店舗に達したパチンコ産業。

その人気に背景には射幸性があるとされています。

当時の貸玉料金は1個2円、景品上限額が100円でありましたが、「オール20」は一回の払い出しで最大40円と高い射幸性となって行きます。

また、循環式の1号機と呼ばれる「上皿付き高速連射機」は一分間に160~180発もの発射が可能で非常に高い射幸性を持つ事となります。

射幸性が高まるのつれ、店舗の外で景品を買い取る「バイニン」も存在し、パチンコによる依存症や生活破綻が社会問題となってしまい、1954年に風俗営業取締法が改正され、翌年1955年には各公安委員会が「連発式パチンコ」更に「オール20」の禁止を発表します。

連続式発射装置の登場

パチンコ連発式の発射規制の内容

1955年、行政は各公安委員会が認めるぱちんこ機の基準を設けます。

そして、次に掲げる「一式」「二式」「三式」の3つのタイプのみ許可されることとなります。

規制概要は以下の通りです

一式(手動式)

上皿がなく手で一個ずつ玉を投入して発射するもの

二式(上皿付き・循環式)

上皿付き・循環式

発射された玉がアウトかセーフかを確認した後でないと次の玉を発射できない仕組みも有するもの

三式(上皿付き・循環式)

上皿付き・循環式

一分間に30発以内の遊技球しか発射することができないもの

これらは射幸性を抑えるための条件を設けており、この規制により初めて一分間に発射できる遊技球の数が制限されます。

こうした規制により、売上が大幅に減少し、ホール数も急激に減少します。

最盛期の45,000店舗から廃業するホールも相次ぎ、1957年には8,400店舗まで減少。

規制による煽りはパチンコホールのみに限らずメーカーも倒産や廃業に追い込まれます。

この様に「パチンコ第一次黄金時代の終焉」の迎える事となります。

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