
現在は日本の娯楽として誰もが知るパチンコ、パチンコ業界は全盛期に30兆円産業とてピーク時には全国40,000店舗を超え急成長を果たしています。
では、パチンコの発祥はどの国からで、どのようにして浸透したのか起源をさかのぼってみましょう。
パチンコ発祥国は英国?
パチンコの原型として伝っいるのが、英国で誕生した「ウォールマシン」「マシン・ア・スー」とされており、縦置きで手打ちハンドルで球を打ち出す型式となることパチンコの起源と考えられています。
大正末期に大阪の輸入業者が欧州製造遊技機5台程度を輸入したと記録が残っているそうです。
パチンコ日本での発祥の地は?
日本でパチンコの発祥とされているのが、1922年に「パチパチ」「パッチン」と呼ばれた関西の露店営業で、欧州の「ウォールマシン」が設置されていたとされています。
その後、1930年頃に名古屋で自動遊技機の営業許可が出されたので、名古屋が「パチンコ発祥の地」と呼ばれています。
実際は正式ではありませんが、パチンコ発祥の地は関西となります。無許可営業ですけどね。
パチンコ遊技機の発祥
次にパチンコ遊技機の発祥についてですが、パチンコ機の起源とされているのが欧州の「ウォールマシン」や米国の「ピンボール」にさかのぼります。
「ウォールマシン」は縦置きで壁に取り付けて遊ぶもの、「ピンボール」は、傾斜をつけたテーブル式の台で弾いた球をピンに当てポイントを稼ぐ遊技です。
パチンコは「ウォールマシン」と「ピンボール」の良いところを取って誕生したとされています。
パチンコ遊技機の起源はコリントゲーム?
コリントゲームは、アメリカのデトロイトのカイルCaille兄弟商会が1910年に登録した遊技台で,一般にはピンボール・ゲーム機pinball game machineと呼ばれます。
少しだけ手前に傾斜した逆U字形の盤に,多数の穴をあけ,穴の周囲などに複数の釘(くぎ)を打っておき、盤の右下隅から小さな棒で球を盤上に打ち出し,球が穴に入った結果で得点を競うゲームです。
このゲームをアメリカで見た小林脳行氏が日本に持ち帰り発売させたとされており、日本では、小林を音読みでもじった「コリントゲーム」として昭和初期に流行します。
後にこのゲーム機を正村竹一氏により改良されたものが「パチンコ」の発祥となります。
正村竹一の正村ゲージ
1946年、正村竹一が名古屋市西区で20台の小さなパチンコ店を開店し大繁盛となりました。
もともとガラス商を営んでいた正村竹一はパチンコとは無縁でしたが、戦前に鋼球式を製品化した藤井文一によってパチンコに興味を持つ様になります。
店は大成功となり、増台の必要性から正村竹一自ら遊技機の製造を始めます。
それが、現代パチンコの起源となる「正村ゲージ」の考案者となります。
正村竹一
正村 竹一(まさむら たけいち)
(1906年9月5日~1975年10月8日)
名古屋市西区で「正村商会」として遊技場を経営。
現代パチンコの起源となる「正村ゲージ」の考案者となります。
パチンコの神様、現代パチンコの生みの親と称される人物として有名です。
正村ゲージ
正村ゲージとは、1948年頃、名古屋市西区で遊技場を経営していた正村商会の正村竹一が考案したパチンコのゲージ構成のことで現代パチンコの原型となります。
それまでのパチンコ台は入賞口が多くバラ釘のみで構成されていましたが、正村ゲージでは入賞口を減らして釘の並び方に新たな工夫をしたゲージとなります。
正村ゲージの特徴は、現代のパチンコ台にも見られる「天釘」「ヨロイ釘」「ハカマ」などの釘の並び方や玉を受けて回転する「風車」や、いわゆる「チン、ジャラ」と呼ばれる賞球のベルを導入したものとなります。
また、当時のパチンコ台は手打ちでしたが、正村ゲージでは従来より盤面に空間が多いため、玉の突飛な動きが増え、打ち込む場所によって入賞口に入る確率の変化が顕著となる技術介入により、プレイヤーの技術の上達や工夫を促し大衆の人気を集めました。
尚、この正村ゲージは「良い物はみんなが真似したらいい。」といった正村の意思により、特許申請することはなく、これを見た名古屋の遊技機メーカーも正村式パチンコ台を大量生産したため全国に普及します。
この正村ゲージが現代パチンコの起源となっている訳ですね。